12月1日
この日、ありがとうの種は生まれました。気付いたらもう3年です。
3年という節目は廃業70~90%という数字がある中で僕にとって非常に重要な数字です。
この世は聴者が作り上げた社会です。
その社会の中でろう者が聴者社会にどこまで受け入れられるかという挑戦です。
こうして無事に3周年を迎えることが出来るのは皆様の支援があってこそだと思っております。
この場を借りてお礼申し上げます。
まだまだこれからも10年20年、誰もがありがとうをもらえる社会を目指して頑張りますのでどうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
そして身内話で大変恐縮ですが、妻から感極まるコメントを寄せてくれました。
頑張ります!
パパへ
3周年おめでとうございます。
私はあちこちでこんな質問をよく受けていること知っていますか?
ろう者起業家の妻としての思い、です。
ありがとうの種がこうして無事に3年を迎えた中、この場をお借りして皆様方へ感謝の意とともに、私の気持ちを綴る勝手をどうぞお許しください。
起業家に家庭は基本的に向きません。
終電ギリギリか帰らない日もあり、休みの日もほとんど不在です。
核家族で息子が3人いる中、どうやり過ごしたことを知っていますか?
私自身、祖父、父と起業して自営をする家系で育ちました。献身的に祖父を支えた控えめな祖母、幼少に起業をめぐって離婚をした両親、どちらも私にとって人格形成に大きな影響を受けました。
父親がいないことは幼心にきつく、暖かい家族像をずっと夢に描いたものです。
そんな背景から起業家の妻として子ども達を守り、そのために夫婦関係をどうしていくべきか日々努力しています。
起業当初、生活が一変し、夫と離れている時間が多くなりました。パパは家族やろう者の社会進出のために昼夜問わず一生懸命働いていますが、息子3人の子育てに孤軍奮闘している私には一寸先の闇を彷徨う心境でした。
当たり前にこなしていた生活全てが疲れや不安で中途半端となり、子どもの宿題さえも面倒みきれなくなってなっていたのです。加えて自分の大学での勉強も残っており、時間やメンタルとの勝負でした。
当時三男がまだ1歳、とりあえず生活を回すことだけを考えました。並行して大学も教員や友人に恵まれての「継続は力なり」で今年ようやく卒業できました。
夫婦など様々な人間関係において、相手はまぎれもなく動かない山である。じっと耐えるか逃げ出すかの二者一択と今までそう思っていました。
が、これは間違いでした。
妻として母としての『調整力』が求められるんですね。我慢するのでなく、逃げ出すでなく、どう調整して乗り切るかを考えなければならないことに気づきました。
沢山の人と会い、沢山の本を読むことで自分の心を養う努力を重ねてきました。書物は次の瞬間をよいものに変えてくれ、それが人とのかかわりにもつながります。
そうこうしてようやく3年。
カフェに足を運んで頂いた皆様あっての私たちです。本当に感謝します、ありがとうございました。
最後に…
パパ、ありがとう。
私が19の時に出会ってからもう20年経ちました。
23歳で結婚して、1人亡くしたけども3人の子どもたちに恵まれました。自分のつらい姿を家族や人に見せず、明るい笑顔で振る舞うパパのそういうところを尊敬します。
今日のSocial Café−Sign with Meがあるのもこの結果でしょうか?
子どもたちも頑張ってるから、パパは家族のことは心配しないで仕事に集中してください。